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#非正規図書館員 について思うこと

こんにちは。

普段は書籍や映画の個人的考察を深堀りするために書いているブログですが、今日は趣向を少し変えて、Twitterでトレンド入りした#非正規図書館員 について書こうと思います。

長くなりますが(9000字弱あります)、興味がある方はご覧ください。

 

 

 

 

 「#非正規図書館員」がトレンド入りしましたが、日本の縮図を見ているようでいたたまれなくなりました。

 ことの発端は、change.orgでの署名活動

 

www.change.org

 

 簡単に整理すると、この署名キャンペーンを開始した、滝本アサさんは現状、

  •  とある市立図書館の会計年度任用職員
  •  最低賃金+40円・手取り9万8千円
  •  一人暮らしはできず実家で暮らしている

 そして図書館員の待遇改善のため、

  • 雇用年限の撤廃:経験のある図書館員の雇用継続
  • 最低賃金2000円に引き上げ:一人で自立して生活するための最低ライン
  • 退職金の支給:フルタイムで実質労働時間は正規職員と同じ
  • 図書館員の研修充実と司書資格取得の全額補助:図書館員の能力向上

 以上、4つの提案を日本政府にするとしています。

 


 これについてTwitterに投稿された意見の中には、

 「それって誰でもできるからこの額なんじゃないの」

 「給与に不満があるなら転職すればいい」

 という意見が複数あり、複雑な気分になりました。この人たちが言うように「誰でも出来る仕事は低賃金が当たり前」なのだとしたら、「誰でも出来る仕事に就いた人間は最低限の生活をする権利も剥奪される」ということですが、果たしてそうでしょうか。

 この記事では、それについて私が感じたことを纏めてみたいと思います。

 

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目次

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 価値がない=低賃金なのか

 まず、前提として世の中には様々な仕事が存在します。エッセンシャルワーカーと呼ばれる「必要な仕事」に分類される仕事。娯楽に関する仕事。複数の業界をつなぐ仕事。危険を伴う仕事。資格が必要な仕事。

 「誰でも出来る仕事が低賃金」という意見は、「誰でもできる=価値が低い=低賃金」と考えているわけですが、これは言葉を変えて考えるなら、「誰でもできる仕事=価値が低い=大した仕事ではない」と考えているのです。資本主義の世の中ですから、価値が低いものは安い、という原則に従っているわけです。

 ところで、私は仕事に「大した仕事」も「大したことない仕事」も無いと考えています。「大した仕事」「大したことない仕事」が賃金に反映されるのだと思っているなら、それはとんでもない間違いだとは思いませんか。賃金に反映されるのは仕事のグレードや希少性の他に、もっと大きな、圧倒的な力が働いています。

 仮に、大した仕事は価値が高いから高給取りで、大したことない仕事は価値が低いから薄給だと仮定するとします。そうすると「(国会で居眠りしていたとしても)議員は大した仕事をしていて(高給)、命を預かる保育士やケアワーカーは大した仕事ではない(薄給)」となりますが、果たして本当にそうでしょうか。

 「それは個人に問題があるのであって、一部の居眠り議員だけをあげつらって議員全体を怠惰と言っているのと同じで辻褄が合わない」「時間外労働が給与反映されないのは学校側と相談すべき」という意見が出てきそうですね。しかしきちんとそれに対しての答えを用意しました。

 「個人の問題があったとしても簡単には解雇されない職業があり、たとえ幾ら雇用者と協議しようと雇用に関する問題が一向に解決しない職業もまた存在する」のです。

 

 ここまで読んで憤慨した方、是非最後までご覧ください。これはあなたにも無関係の問題ではないと思います。

 

 雇用形態について

 まず、日本の雇用形態は大まかに「正規」と「非正規」に分けられます。正規職員はフルタイムで働き月給制、退職金が出て、雇用が守られる立場にあります。一方の非正規職員は「パート」「アルバイト」「派遣社員」「契約社員」などと呼ばれる人です。(一部例外はあるかと思いますが)退職金はありませんし、時給制ですので休めばその分給与が減ります。雇用の調節弁として扱われることが多く、正規雇用の労働者の産休・育休のために非正規雇用が採用されることもよくある話。そして中にはフルタイムで働いている人も大勢います。

 図書館員に関して述べるならば、地域差はあれ、非正規が圧倒的に多いです。正規職員になるには地方自治体が募集する地方公務員募集に応募しなければなりませんが、これは物凄い倍率です。

 

 参考までに2020年度の「地方公務員・司書採用試験実施倍率」を掲示しているサイトがありました:

library-site.hatenablog.com

 

 見ればお分かりかと思うのですが、一番低い倍率でも京都府の6.0です。図書館員の正規雇用は圧倒的な高倍率を維持しています。

 そして裏を返せば、この倍率を勝ち抜いた人だけが正規雇用され、それ以外は非正規、という世界が図書館界を取り巻く状況です。図書館は現在、委託化が進んでいるため、派遣会社に登録して大学や企業の図書館で就業するという形がオーソドックスです。そして派遣社員は日本の職業カーストにおける最も下層に位置しています。上でも述べたように、非正規雇用正規雇用を存続させるための穴埋めとして運用されることが少なくありません。どれだけ頑張っても契約満了期間が来れば、無条件で契約更新なし。雇止めです。

 

 自治体の図書館員が全員、正規職員ではないということ

 状況が掴めてきたでしょうか。しかし誤解されると困るので詳細に述べると、地方自治体の図書館だからといって、全員が正規職員ではないのです。ここ、結構誤解されやすいのですが、残念ながら状況は複雑です。

 「さっき地方自治体の図書館員は高倍率を潜り抜けた正規職員だと言ったじゃないか!」とお怒りになる方もいるかもしれませんので訂正します。地方自治体の図書館(市町村の図書館)で働く正規職員を自治体が募集しているだけであって、その全員が正規職員ではありません。

 つまりどういうことかというと、市町村の図書館で働く“一部の人だけ”が正規職員ということです。大抵は委託会社が入っていて、そこに登録した非正規職員が働いています。市町村の図書館で「お前ら税金もらって働いているんだろう!」と憤慨している利用者を見たことがありますが、それ、違います。怒られているのは大抵非正規職員で、税金は払うことはあっても、税金から給与が支払われることはありません。

 

 ここで、「非正規なのは本人の努力不足」とか、「ほかにいくらでも仕事があるだろう」と言う人たちは観点を変えて見ていただきたいのです。

 

 「非正規なのは本人の努力不足」は本当なのか?

 最近Twitterを眺めていて思うことは、“自己責任”で何もかも解決しようとしている、ということです。中でも本当によく使われている言葉が「本人の努力不足」「頑張らなかったんだから自業自得」というもの。

 しかし、本当にそうでしょうか?

 図書館員に関して答えるなら、「NO」です。

 先に述べたように、図書館員として正規採用される道は恐ろしい倍率の試験を潜り抜けて地方公務員となることが必要です。「その倍率の試験も通らないんだから、やっぱり能力不足じゃないか」と思うでしょうか。

 先に貼ったリンクの倍率を見てみると、面白いことに気が付きます。「合格者数」の欄を見てみましょう。一番多く採用したのが東京都で9人。次点で埼玉県の8人です。東京都と言えば日本の首都であり、もっとも求人数が多い筈ですが、図書館員の正規雇用の採用人数は「2020年度で合計9人」です。おかしいとは思いませんか。

 私も地方自治体の求人への応募経験者ですが、試験会場となる大きな部屋にはずらりと机が並べられ、筆記試験が開催されました。筆記試験の後には集団面接。確か採用される人数は2,3人だったと記憶しています。はっきり言って異常です。こんなに倍率が高くて就業難易度が高いのに、蔑ろにされている職業も珍しいと当時思ったものです。

 これを「個人の努力不足」だと本当に言えるのでしょうか。

 

 「他にいくらでも仕事はある」への反論

 非正規図書館員が何故辞めないのか、考えてみたことがあるでしょうか。

 その際、単純に自身の賃金の問題を一旦横へ置きましょう。主たる家計支持者が別にいるからとか、自分はWワークしたいからとか、そういうのは一旦、例外としましょう。

 もし仮に賃金だけ、個人的なことだけが(不満を持つ)理由だったら、皆さっさと図書館界から姿を消してしまっている筈です。

 「能力がないから業界にしがみついているだけ」と思うでしょうか。図書館司書は勿論、弁護士資格や医師免許と比べれば取得しやすい資格ではありますが、努力なしに取得できるものでもありません。一夜漬けで受かるような試験ではありませんし、大学で単位取得するにしてもかなりの量を(卒業認定単位とは別に)取得しなければならないのです。

 発想の転換をしてみましょう。図書館員が個人的な理由で辞めないのに、待遇改善を訴えている理由とは何か。これまで雇用形態と求人倍率について話してきたので、答えは自ずと出てくる筈です。

 その答えは構造にあります。

 図書館で働くのは、図書館法で定められた図書館司書資格を有する国家資格保持者「司書」または「司書補」です。しかし、実際は無資格者でも応募することが出来る求人があり、そういったところでは最低一人は司書を置く、という形を取ります。

 司書は、文化や知識の蓄積・保存、利用者への提供を主な仕事とします。資料を収集し、どんな資料であっても、またどんな利用者にであっても資料を提供することを指針とします。反対に、憲法第35条にもとづく令状の確認時以外は完全に利用者の個人情報を守り、すべての検閲に反対するという確固とした使命を持ちます。

 

 「司書」という職業が国家資格であることすら知らない方もとても多いと思います。カウンターにいてスキャナーで「ピッピッ」ってしてるだけの人に見えるからです。「誰でも出来るじゃん、レジと一緒じゃん、何なら会計ないからレジより楽じゃん」と誤解されています。レファレンスサービスを実際に体験したことのある人の方が少ないですし、そもそも図書館は要らない、電子データで十分、本は読まないから図書館は要らない、と考える人もいます。

 実際には図書のデータを作成する作業(目録業務)や、新しい本を貸出できるようにフィルムを貼ったりする作業(図書登録・装備)、利用者の調べものに応じるレファレンスサービスや、資料の修理、延滞している利用者への返却依頼(督促業務)、図書館間での資料取り寄せ作業(相互貸借)など、その仕事は多岐にわたりますが、利用者から見える範囲での仕事がカウンター業務だから、それだけしかしていないと誤解されてしまうのでしょう。

 そしてこのあたりに、求人数の多さの理由が見え隠れするように感じます。実際、非正規パートはカウンターのみという求人も多いですが、図書館において貸出・返却の業務は全体の一部であって、カウンター業務だけが図書館の仕事、というわけではありません。


 社会に求められていないとみなされるか、人が余り過ぎている職種は低賃金になることが多いものです。図書館司書は前者であり同時に後者でもあります。社会的に司書の価値が認められていない(前者)うえ、司書に憧れる人も多く、資格取得は通信制でも可能。主婦層にも人気が高く、求人倍率が極めて高い。「人が来るんだからいいじゃない」という理由で、自立生活のできないような給与の求人が多く存在します。

 例えば大学図書館で週3日、1日あたり7時間勤務。これだけで生活していくことは困難であり、同時にこの求人はパートで働きたい人を対象としていることが分かります。
 パートタイムで働く人の全員がそうではありませんが、経験上は主婦層が圧倒的に多い印象です。家庭があり、子供たちの世話もしなければならないからパートがちょうどいい。主婦層には絶大な人気のある求人です。だからこそ、求職者は途切れず求人倍率は跳ね上がります。

 

 個人的に司書層は二層になっていると考えています。

 一層は司書としてフルタイムで働きたい人、もう一方の層はパートで司書として働きたい層です。しかし、どちらの層も大勢の人間が押し寄せるので求人倍率は跳ね上がっています。正規雇用されなかった人も非正規雇用に応募するので、非正規雇用は人が溢れている状態です。まさに買い手市場。それなのに、司書の世界ではベテランが少なく、優秀な人材がなかなか育たないのが現状です。

 

 この構造がもたらすものは何でしょうか。

 ここで冒頭に挙げた滝本アサさんの署名活動に繋がってきます。

 

 繰り返しますが、図書館界では正規求人が圧倒的に少なく、反対に非正規求人が大多数を占めます。アウトソーシング化が進み、委託・派遣が多くなった図書館では、以下のようなことが起こります。

 

 一部の人を除き、低賃金で自立できないことから、人が定着しない・育たない

                  ↓↓↓

 人材が育っても非正規雇用なので、雇用上限が来るとどれだけ優秀でも解雇される

                  ↓↓↓

     (上記理由で)図書館に優秀な人材自体が少なくなってしまう

                  ↓↓↓

     「図書館員=大したことない」という価値観が社会に定着する

                  ↓↓↓

      「誰でもできる仕事」としてアウトソーシング化、低賃金化

                  ↓↓↓

  一部の人を除き、低賃金で自立できないことから、人が定着しない・育たない

                  ↓↓↓

           (以下、上記を無限に繰り返す)

 

 しかし実際はレファレンスサービスを筆頭に専門的知識と経験が必要な専門職であり、ただカウンターに座って貸出・返却作業をしているわけではありません。

 長くなりましたが、「他にいくらでも仕事はある」への回答は、「個人の問題として主張しているのではなく、図書館を取り巻く現状を変えなければ将来的な学びの場、教育の場が危ういということを人々に知ってほしいから主張しているにすぎない」です。

 

 以上、滝本アサさんの署名活動について、私個人が思うところを述べてきましたが、これはあくまでも私の意見であって、滝本さんご本人がどのように考えておられるのかについて論じているものではありません。その点、ご理解のほど宜しくお願いいたします。

 そしてこの記事について補足させて頂きたいのですが、この記事はあくまでも図書館員、図書館界の問題として取り上げたものですが、実際には図書館員にとどまらず、似たような状況に陥っている業界が多々あると推察します。

 どうか、「こっちだって大変なんだよ」と図書館員をはじめとする、いま声を上げている方々に向かって怒りを露わにするのではなく、このような活動を足掛かりとして他業種にも光が当たることを考えていただけたらと願ってやみません。

 格差を生み出している構造自体に問題があり、個々の努力を超えた困難さがあることに気づいて頂きたいです。

 図書館員は知を愛している方が本当に数多くいらっしゃいます。利用者に寄り添い、学習や調べものに関して熱心に応えようとしてくださる方が殆どです。その人たちの多くは休みを削って無休で研修に参加することを厭いません。ただ、その反面、その性質を利用した「やりがい搾取」に陥っているのも現状です。

 図書館員の雇用と存続を守ることは、将来の知を守ることにつながる。

 私としてはそう思います。

 

 

 おまけ(このままだとこうなる「かも」予測)

 

 この現状がさらに悪化した場合、図書館をとりまく状況はどうなってしまうのでしょうか。私が考えた予測をおまけとして掲載したいと思います。

 

  公共図書館は(必要性を否定され)自動貸し出し機とAIの選書サービスが定着

  ➡メンテナンス保守人員と役員以外は人件費削減の観点から解雇される)    

  ➡レファレンスサービスを始めとする優秀な人材を損失する)

                  ↓↓↓

公共図書館は単なる「資料保管室」となり、情報を包括的に管理したり(単なるキーワードだけではなく)、関連性の観点から資料を見つけ出すことが不可能になる。利用者は図書館が利用価値のないもの、または役に立たないものとして必要性を感じなくなり、公共図書館が廃れる。

➡「資料を公共の場で公開している」という観点から、「生涯学習の場が奪われたことにはならない」「知る権利は阻害されていない」とみなされるが、実際には図書館の担っていた情報の探し方の手ほどきであったり、生涯学習のサポートは失われる。

                  ↓↓↓

一見、公共図書館だけが廃れたように見えるが、大学などの研究施設における図書館の役割も縮小する。公共図書館が廃止されると、人件費削減が叫ばれるようになり(公共図書館だって専門職要らないって判断したし、と)後押しを得て大学などの図書館も単なる資料(の配置された自習)室と化す。

                  ↓↓↓

大学や企業に属する研究者は、研究に必要な文献の入手に困難を感じるようになる。ネットで手に入る文献は以前と同じく入手できるし、キーワード検索で手に入る文献は容易に手に入るが(この時点でそもそも適切なキーワードを推測できなければ文献にはたどり着けなくなる)、図書館同士の相互連携(相互貸借)によって得ていた文献複写の入手が困難になる、または入手するのが高額になる。(対応できる人員が少ないため)一度に取り寄せられる文献に制限が掛けられる。

                  ↓↓↓

研究機関を存続するために関連研究の文献入手は不可欠なので、研究自体が進まなくなる団体が出てくる。高額な文献代金のために研究が頓挫する研究者がいる一方、潤沢な資金のある研究者の独壇場となる可能性が出てくる。潤沢な資金のある研究者の中に、権力との癒着があれば、権力で研究を大幅に操作できるようになる。

➡また、この時点で高額でやり取りされる文献に関しては、文献を発表した研究者ではなく、文献掲載雑誌の発行元(もしくはそれを流通させている中間業者)にお金が落ちるものと予測。つまり研究者はどれだけ研究を続けても、単独では自分の研究の維持ができず、どこか有力な団体に所属する必要性に迫られる(これは恐らく、現状でもかなり厳しい状態では?)

                  ↓↓↓

日本での研究自体が全体的にトーンダウンする。新しい研究者が育たないという問題が起こり、研究者以外では、自力で資料に辿り着けない者は情報弱者になる。

 

反対意見を考えてみます。

Q:「文献は人の手で必ずしも取り寄せ作業をする必要はないし、全て電子化して電子上のやりとりで済ませるようにすれば、研究者自身が文献を取寄せたいときにいつでもダウンロードして読める状態に持って来られるのではないか(だから図書館員は不必要では)」

A:現状、電子媒体での雑誌データのやりとりについては、機関(大学や研究機関など)側の契約種類に基づいて可・不可が決められています。研究者が所属の機関で購読している電子雑誌は容易に購読・ダウンロード可である可能性が高いですが、他大学の電子雑誌をダウンロードする事例については、今後どのような契約形態をとり、料金体系が確立されるのかは定かではありませんし、図書館員だけでそのことは決められません。

➡平たく言うと、権利問題とか料金とかの関係でそこをワンストップにするのはまだまだ課題が多いのです。

 

Q:「文献が取寄せられないだけで、研究を大幅に左右するなんて本当にあり得るのか」

A:研究分野にも拠る、とは思いますが、医学分野などに代表される「先行文献の参照が不可欠」な分野であれば、研究データが膨大に蓄積されている方が圧倒的に有利でしょうから、あり得ると考えています。

➡図書館間の相互利用では、お互いに所蔵していない資料を取り寄せたり提供することによってその差異を縮めようとする意図があります。相互利用が滞れば、その差異は再び開くことになるのです。

 

Q:「実際問題、貸出と返却なら人は要らないよね。持ち出し対策なら監視カメラとか入館ゲートを活用して、駅の改札みたいに貸出処理してない資料を持ち出そうとしたら出られないような仕組みにすればいいんだし、実質、人間いらなくない?」   

A:人件費を削減して自動化した図書館を持てるのは、資金に余裕のある総合大学などが殆どで、地方の中規模大学などはそもそもゲートの設置や自動貸し出し機自体の導入が難しいのではないかと思います。人件費をほとんど削ったとして1,2名の司書だけで回せるとしても、その体制を(ゲートや貸出機に投入した費用を回収できるまで)維持するのは現実的ではないと考える大学も多いのではないでしょうか。仮にそれが叶ったとして、それだけの資金を投入した結果、利用者が減り、図書館の運営自体に疑問が呈されることになっては本末転倒だと考えるのが自然ではないでしょうか。

➡人が要らないから減らそう、だけでは解決できないお金の問題を考えた結果、現状は「安くていつでも解雇できる非正規をたくさん使おう」となっているのです。

 

Q:「なんで図書館員を減らしたら、文献の価格が上がるの? 人件費削減してるんだから、安くなってもいいはずなのにおかしくない?」              

A:そもそも取寄せている文献って何でしょう? 雑誌を図書館員がコピーしたもの(複写物)です。これは著作権で許された範囲でのコピーによって成り立っており、そのお陰で1枚30円~150円+送料という価格で提供できています。ところが人件費を削減するとなると、コピーできる図書館員自体が減ることになります。

 「電子にしたらいいじゃん」と思うかもしれませんが、紙媒体と電子媒体では取り扱う際の「範囲」と言いますか、端的に言って同じ内容なのに扱いはまったく別物なのです。ですから、「少ない図書館員で手分けして複写する」となると単純にマンパワー不足で文献取り寄せの件数を制限せざるを得ませんし、実際、現在でも複写申し込み件数が多い大学では、複写料金を釣り上げて申し込み人数の制限としているところもあります。

 「電子データを取り寄せる」となれば、複写を申し込む相手の図書館の契約によって可・不可が異なります。大抵の場合は電子データの提供可とする契約の方がお金がかかりますので、現状では取り寄せできる相手館が限られてくると思います。そうして対応する側が忙しくなるとどうなるでしょうか? そう、「複写料金を釣り上げて申し込み人数の制限」がここでも登場するというわけです。大抵の電子書籍の契約では同時にアクセスできる媒体数で料金が変わってきますから、たくさんの人が利用したいとなれば、料金は高く釣り上げられることは想像がつきます。

 

 以上、長々と述べてきましたが、「#非正規図書館員」をめぐるTwitter上での意見に思うことを纏めてみました。

 ここまで読んでくださった方がいましたら、お疲れ様でした。そして、賛否あるかとは思いますが、読み進めてここまで到達してくださり、ありがとうございました。

 

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